
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
ストーカーになることを怖がっている間は、ストーカーになることはありません。
怖いのは、ストーカーであることを怖がらなくなった時です。
しかし、名前しか知らない人をどうやって住所まで調べあげたのかわからないけれど、まぁ普通の人はそこまではしないけれど、逆にそこまでは、彼に対する執着心の成せる業として自分には分かる。
自分も執着心の強い性格だし、「逃がした魚は大きい」という諺もあるしね。
しかし、問題はそこから先だよ。
幸せになりたい、不幸になってもいい、という分かれ道のどちらの道を自分が行きたいかだよ。
相手もあることなので、自分の行動で相手を不幸に巻き込むこともある。
君の状態は、込み入った事情をすべて取り除いて、極めて簡素にまとめ
れば、世間に良くある片想いの状態だよ。
ただ、セックスしたことで、一時的に両思いになったと錯覚したのが、そもそもの間違いだったね。
お互いに対する温度差は、その経緯(いきさつ)を見れば明らかだから。
その人の何に惹かれるかは、人それぞれだけど、僕も20年前に出会って、一回しかつきあわなかった人を、ずっと忘れられなくて、あまりない氏名だったので、フェイスブックで検索したら、本名で出していたので、すぐ見つかった。
でも、当時東京に住んでいた彼は、九州の故郷に帰り、仕事も変わっていた。
そして、何よりも変わっていたのは、その容姿だった。
性格も真面目な子だったけれど、何よりも魅力的だったのは、芸雑誌のグラビアにも出たことのもある、その顔と体だった。
20年後の彼は、確かに本人と分かる顔だったけれど、そこには、過日の光り輝くような魅力はもうなかった。
月日は残酷であると思った。
人の夢を無惨にも打ち砕く。
ただ、両親ともに癌でなくしている彼だから、本人も癌で亡くなっていなければいいなと、もし、そんなことになっていたら、そばにずっとついていてあげたいと思った。そこが一番心配だった。
しかし彼は、彼の父が亡くなった年よりも、母が亡くなった年よりも、さらに年を取っていたが、生きていた。そして、元気に働いていた。
それが、何よりもうれしかった。
彼のフェイスブックの、コメント欄に書き込みをしたが、返事はまだ書き込まれていない。
僕のフェイスブック上の名前は本名ではないし、当時住んでいた東京から湘南の地へ引っ越してきたから、おそらく彼には、コメントを書き込んだのは、僕だとはわからないだろう。
出身地も、そのために削除し、大幅にプロフィールを変更した。
すべては、彼が僕のプロフィールから、昔の僕を特定できないようにするためである。
つまらない誤解から、別れてしまった、一生に一同出会えるかどうかの最愛の人。
でも、友達申請は控えた。
コメントに返事があったら、それを見て、友達申請をするかどうか決めようと思っている。
友達になれるかどうかわからないが、最愛の人が幸せに暮らしていることが、僕の喜びになった。
決して、きれいごとを言っているのではなく、本心からそう思っている。
成長するピーターパン (2020/08/11 Tue 18:18:53) pc *.130.49.67 メールを送る
この回答が参考になった: 0人 (携帯からのみ評価可)