
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたの文章の中に既に答えが在りました。
できれば全部読んでみてください。
先ず、
兄弟は他人の始まりという慣用句は、生育過程で既に当たっているのです。
同じ兄弟姉妹で、例外も勿論ありますが、大部分はおよそ違う内面性が、これ
も語弊は在るけれど遺伝することとなる。
例えば、顔と性格・気質はクロスして遺伝されることが多い。
次男坊でどちらかと言えば、父に似ているけれど、内面は母の性格そっくりと
いうような意味合いです。恐ろしいのは文字まで親に似てしまう場合も多い。
そしてあなたの分析によれば、あなたは兄上と姉上の年配序列と性差にもよる
外交的で育った過程をあなたは観て育ち、自らは捻くれ荒くれた訳でもなく、
内面に向い、「自意識の蓄積」が為されて育つことになったということだった
のかもしれない。
そして、そこには性癖の隠れた悪魔があなたを支配したからあなたは恋愛でも
渡ろうとしないで戻るような己になったのだと想像するのです。
この悪魔は生まれつきの場合が大抵で、何かのきっかけがあった場合以外では
天性のもの。しかし、あなたの拘っているなんとかジェンダーというのは議論
の余地が大きい。この部分にあなたの意固地さは無いかが気になるところ。
悪魔と書いたけれど、字義通りの意味ではありません。
あなたを左右した、あなたにとっての負の自省の連続という意味合いを今は仮
にそう記すのです。
あなたは、誰にも吐露できないで自分を自分で抑え込んで歩んで来た。
そして、それが認められた場合の刹那に狂喜してしまう、それで破綻してしま
うことが多かったのではないか。
その失敗の傷が、あなたの自省によると「依存」と自覚された。
あなたの孤独の深さの裏返しが、あなた自身を依存者と決めつけた。
従って、あなたは「自分を解ってくれる」「交われた」ということに、自分の
よすがを得たように期待し過ぎない方がいい。
つまり、あなたは自分の悲哀を背負いながら自分を相手で薄めようとしていけ
ない。
誰もあなたを本当に救えるということなどないのです。
例え、イエスでも観音菩薩でも神様でも好転の慈悲はありません。
あなたが勇気を持てるか、やってみることができるか、きっかけとなる程度に
背中を押してくれるだけなのです。
だから、あなたの悲しみをどうすれば薄められるか、それを自分で考える人生
を思いながら、その上で、誰かと出遭うこと、歩いてみることが可能かと考え
て行きなさい。
極論を言えば、あなたは「そのままでいい」「それでしかない」ということに
なる。そして、誰かと何をどう創れる自分であるかと考えていきましょう。
もちろん、そういう出遭いに至らない場合は、あなた独りの道でどうすれば心
が平穏になれるか、それを考えて自意識の中に肯定の信念を持つことです。
真理之丞天涯花1 (2020/09/25 Fri 09:37:23) pc *.228.139.65
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