
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
「付き合う」という感覚自体が形骸化し、その時楽しければいい、自由に楽しめればいい、いろんな人と楽しみたい、などと言う自分ファーストからの都合の良い思考になっているのでは。
とりわけ20代なんて、情報が限りなく氾濫しているなかで、いくらでも気軽に出逢えるし、セックスも簡単に楽しめる。いろんなタイプとも不自由亡く出逢える、その刺激がより多くの出逢いを求めようとする。セックスの快楽が快楽を呼び、より強く刺激的な快楽を求める連鎖に身を委ねてしまう。
ましてや、学生ならば、時間的な余裕は社会人の比ではないだろうし、その自由度は安易な方向に流れても自覚さえ薄れさせてしまう。そのまま年齢を重ねてしまうとそのジレンマと苦悩に苛まれて、煩悩に身を焼くことになってしまうのだが。
付き合うということは、本来、利害を超えてお互いがお互いを必要とし、その善し悪しをも含めてお互いを育んでいくことかもしれない。付き合いは与えられる者ではなく、育むものなのだから。それは、我慢することではなく、理解しあうこと。
彼の本音を知りたいけど、あれこれ言うと嫌われるんじゃないか、付き合いがダメになってしまうのではないかと耐えているのでしょう。なによりも大切なことは自分らしく、自分に素直に、自分に嘘をつかないことだと思う。自分をごまかしたりすることだけは、考えないでほしい。あまりに淋しすぎるから。
よく、心は寄せていないとか、愛情は向けていないと言い訳するが、そんな言葉は免罪符にはならない。遊びが悪いというわけではないが、ゲイの性というべきなのか、それのみに執着し過ぎて、手軽で安易な行為に終始してしまっているのも現実だろう。その是非を問うつもりはないが、せめて、相手への気遣いや心配りは忘れないでほしいと願っている。
多分、彼のことを変えることは難しいのかもしれないね。多分、罪悪感もないでしょうから。むしろ、彼への批判や嫉妬にとらわれるのではなく、自分自身を変えていく勇気、(自分を魅力ある人間に成長させる)自身の思いを伝えていく勇気も必要なのかも知れない。
自身の幸せのために何が必要かを真摯に自身と向かい合ってほしい。そして、一歩踏み出す勇気を信じたいと思う。
*美しい花を咲かせるには、手間と工夫と水やりの仕方は欠かせませんから。
迦楼羅 (2020/12/17 Thu 17:54:15) pc *.8.13.0 メールを送る
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