
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた、ゲイ云々問題ではないということが根深く有るのです。
ゲイのゲイ嫌いという同族排斥の問題はちょっと置いておいて、日本人は今は
ずいぶん心が解放されてきていますが、昔から閉じた世界観や心の持ち主が
多かったのであって、警戒心がものすごく在るということなのでした。
それは言葉を変えると排他的ということです。
もっと歪に尖鋭化したのが、村八分であったり、いじめです。
そういうことが巷には横行しており、外国では身分の違いということの厳然
たる階層視があるものの、日本の公家や貴族はちょっと例外として、巷では
同じ人間でありながら、排斥感情という卑小な心が有った訳でした。
それが江戸期には明確化される。
それを昭和高度経済成長期まで引っ張って進んでいた日本です。
そんな中で、異質や突出(時に傲慢)に敏感な日本人となったのは、
一つは絶対的に季節感や自然ということが在り、その次は、農耕主体米文化
ということがあり、そういう訳で、違う血に敏感になって歩んで来た閉じた
島国となった訳なのです。違うことで嫉妬が興る。
例えばお隣さんに万年どこかの国の肌の色も少し異なる家族が住み続けると
します。その時に人々はどんな感覚を持つか、感情が芽生えるか、
それは毛嫌いということではなく、何か得体の知れぬプレッシャーということ
なのです。黙っているとそれが堅固になり、一層触らぬ神に祟りなしのように
心理的距離を置き、遠目で観続けるということがおこる。隙間風が吹く。
そしてそれと矛盾するように、とても真摯で誠実で一生懸命であったり、笑顔
に常時出くわしていくと、いとも簡単に仲間にしてしまう日本人でもある。
だから、田舎の外国人は、馴染み出すとそこをとても愛するという現象が起き
る。
そもそも、他の大陸や征服の歴史が有る国々では、血の混淆まで進み、存在を
認めざるを得なかった。しかし、日本は江戸期を経て堅く心が閉じる民族性に
なってしまったのです。一部のエリートや孤高の巡礼旅の冒険家を除き。
この日本人の純粋さ・同族安心の希求が要するにゲイの異質距離感にも影響
しているということです。他国の人が日本人を求めてくれる数より、日本人が
他の国の人々や民族を欲する数はとてつもなく少ない。
成り行きで偶然近くに居ることになり馴染んだ場合という結果論でしか外国人
を求めることは悲しくも少な過ぎる。もはや諸外国の日系人ですらも。
だからして、犯罪やニュースや珍事だけで外国のことを報じるマスコミは一番
責任が大きいのです。ありのままだけでも大きな違いがある地球上の人のこと
では、彼等の心模様をもっと報じないと日本に真の解放感は根付かない。
むしろ、外国人が日本の先進性に興味を抱き近寄って来るだけで、日本は本当
に知ろうとしていない。
違いには匂いという我慢できない要素までも内包されており、とても理解は
難しいことなのだけど、心の問題とその背景事情まで興味をもって世界恋愛に
出るようになればいいと思うあたくし。
しかし、だからこそ保って来た日本古来の文化は崩れて欲しくない。
本当に難しいことです。そんな意味からも「ナオミさん」をとてもリスペクト
する。みんなみんな同じ心の有る人間なのだから。。。
自然の中の人間、というもので考えなければいけないのです、愛のために。
https://youtu.be/J9HrKz9fJdc
https://youtu.be/9jcg6PLAFwQ
真理
真理之丞異邦愛 (2021/02/27 Sat 01:41:41) pc *.167.118.87
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