
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
そういう人が居ます。
マゾヒスティックとサディスティックの相克。
そしてあなたは自傷という意味ではなく、self-violenceの願望者なのです。
自分の恥態に陶酔したい耽美主義症例の異形です。
あなたはつまり、自分がエクスタシーのあられもない恥辱にまみれているのを
客観的に観ようとして、その想像を膨らませ、それでオーガズムを得ようと
しているのです。
ふつうは自分がエクスタシーを感じるまぐわいを単に欲するのに、
あなたは受け身の自分を傷めつけるような加害的目線を求めて居る、いわば
独り二役の二重エクスタシーを求めて居るという訳であって、
およそ性の淫靡に浸りたい、心底のマゾヒストということかもしれない。
この症例は、そう症例です。
これは自分の弱さを愛でる自己憐憫の突き抜けということで起こる意識であり
あなたはとても弱い自分を自分で可愛がりたいという、
弱者とエロティシズムが縺れた自意識過剰を持つようになった訳なのです。
それはたぶんあなたの生育過程に隠された問題が有って、
繊細なあなたの感性なのに突き放すような怜悧な教育を施されたとか、
あなたを包むような愛を欲しかったあなたなのに、厳格な接され方をしてしま
ってきたとか、ともあれ、歪んだ心を刻むような悲しみが巣食った結果です。
だから、何か異様なものに惹かれるという変態というよりは、
それは自己愛の変形であって、自分を傷めつける麻痺が嵩じるような自己憐憫
と性愛が同一化して、そこで自分が解放されるような感覚を持ってしまったと
いうそんな感じ。。。。
犯される被害者でありながらその全体像に萌えるという歪みは、あなたが愛に
餓えている証拠でもあるのです。それも今愛されてという意味ではなく、
あなたの幼少期にあなたに添ってくれる愛が得られなかったというような意味
なのです。
アブノーマルと一律に定義付けるあなたの願望ではなく、
あなたの哀しみの結果ということですね。
誰かに心底愛される経験が無い餓えた幼児性のようなことになる。
幼児性すなわち、あなたは過去の愛の欠落を埋めなければいけないのです。
そして犯す犯されるという想起ではなく、ただただ対象を愛することで安らげ
る自分を見出して行かねばなりません。
あなたの幼児期ないし、思春期はどんなものだったのか。
自分に問うて、それを解決していきましょう。
人はそれをトラウマとも言うこともある。
真理
https://youtu.be/4og1xersu5I
真理之丞かぎろゐ (2021/03/13 Sat 01:01:29) pc *.167.118.87
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