
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたに贈る示唆は、あなたの善良が弊害になっているということです。
あなたの良質な善良性が見えない壁、透明バリアになっている可能性がある。
善い人であればあるほど、ソフトで非の打ちどころが無いほど誘うことへの、
また持続性への敷居が高くなって溝に風が吹くのです。
その隙間の風を二人が乗り越えられなくなっていく。
あなたはあくまでも善意善良で応え、誰かはいつまでもそれに応答する。
そしてその永遠性の失望感のようなもの、すなわち、およそ意図していない
無意味な乾いた感情がやがてあなたを引き出して行き難いことになる。
どういうことか説明いたしましょう。
あなたはいろいろ反省に立って、または理想を期待し、
いわばよい子ちゃんで応じるし、あなたの誠実に彼等も同じように応えて
答えて話して当座は続く。
しかし、その良い子の敷居を二人がどうしても超えられないという、いわば
雁字搦めのような息苦しさが漂い始める訳なのです。
何をどう訊いてもソツなく、礼儀正しく(畏まってというまでは無いにして
もという意味)、要するに優等生的にパーフェクトっぽいあなたが返って
来ることは、自由奔放やいい加減さや乱れることの醍醐味で予想外におもし
ろい出来事だったとか、出会いだったとか、遊びだったとか、
そういう次を期待する、またいい加減でも許される自分でいいという安心感
を薄めてしまう、完全体とか、完成形のようなものに対面して気後れのよう
に足踏みしてしまうことになったり、構えてしまうことになる、と、そんな
意味なのです。
人間のプライヴェートは、素が出せる、いい加減な自分が許される、馬鹿な
愚かな自分を見せても笑い飛ばして、貶して、それでもお前が必要だし、
自分も必要とされる笑顔や積極さを見せて、許してくれる許される自分像で
あらねば友達にはなれないということなのです。
つまり、あなたがあなたが思っているに反して、非の打ち所がないかもしれ
ない自分で相対しているのだ、ということなのです。
友人とは傷つけ合い笑い合い許し合う関係性のことを言う。
恋人とは素を見せて愚かさを包んで励まし温める同一心の関係性を言う。
つまり、どちらも、崩れた自分を、馬鹿な自分を、見せて、それでも助けて
と言える勇気が有ることが前提で成立し、同時に、相手の哀しい時を察して
相手の傍に居ようとできる自己犠牲が有るということが求められ必要になる。
あなたはおりこうさんで、かっこよく、マナーを打ち出し、愛されようとか
憧れられようと自分を光らせることを根底に置いて彼らと接していないか、
また本音を隠していないか、馬鹿にされるのはいけないと思っていないか、
そういうことを再検討なさい。
恥かしい自分を曝け出して求めなければ友愛も恋愛も無いのです。
自分の殻というものを再考なさい。
エロスは乱れ、友情は哂い、恋愛は犠牲という強さ、それで成立するのです。
あら、あたくしの講釈はどうしてこう難しくなるのでしょう。
でも、あなた、あたくしはいつでも本質を問うのです。おゆるしなさい。
人間性の核心とは、実は弱さを曝け出せることなのです。お守りなさい。
https://youtu.be/nNO6quBCOfQ
眞理
真理之丞そつ魔 (2021/03/22 Mon 22:10:37) pc *.80.230.120
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