
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あたくしが考えてみてと述べたのは、以下の5点だった。
1)自分をどのような場でも正当化したい
2)自分の思いばかりは幼い
3)エロス以外も相手に解らせる
4)重たい自分は慎む
5)自分の美化を投映、離れれば冷める。
その前に、あなたに述べておくことがあるのだけれど、
あなたは特段悪い訳ではありません。何も責められる大きな過ちなど無いも
等しいのです。
だけれども、あたくしが上記のように書いたのは、
自分がそんな彼やそんなエロス(愛され方)が好きなのであれば、
それを述べるにしても、相手があなたを一過性とは思わない言い方や見せる
応え方があっただろうと思うことと、
可愛がられるようなスタンスは相手の真意はどうかも解らない段階では
それを相手が求めるかというまでは確証も無いので、頼るとか縋るとか、
よしよししてもらうような自分を、印象付けない見せ方にまで配慮は要る
かもしれない、とそんな意味なのです。
相手が自分に画一的な役割を求められていると取るような示し方は、控える
方が次に繋がるということで、
要は素直に全部出し過ぎる・感じさせるのも善し悪しまであるということ。
だから、何を理由に俺に来るのかと思う時、問われる時、
相手が隠して持っている願望や関係性にはあなたは「ちがう」と思わせたり、
重いということになり、おまけに、自分より年上なのに?どうしろというの
かとも思わないでもないこともある。(これ年齢上下合っている?)
それから、自分の配慮や判断が相手には通用しないことが前提で話す方が
良い訳で、あなたは自分を慣れない晩稲な自分と思って善良を解って欲しい
と思っていても、相手は二度もあなたをそこで見た訳であり、今度行けば、
遭えば、三度め四度目になり、あなたが性慾解消しかない行動を平然ととる
と思われるということで、
お互い様でも、違う理由で求めているものを述べることも要る場合があるの
だ、ということです。
そして自分がどう思ってとか、泣いたとか、何も手に付かないとか、
慣れてなんかいないんで、とか、自分の思いたい心を尺度にするのは、
実は身勝手でもあるし、そんなスタンスで関わることになると相手に思わせ
てしまうと、そんな意味なのです。
もちろん、あなたの心でそう思っただけで、相手は知らないかもしれない。
しかし、あなたという人と接して話してみたら、抑制より、自分を出して
語り過ぎるきらいがあって、または思わされて、
彼が望む人間味ではないのかもしれない、ということがあったかもしれない。
あなたは正直な自分だった。
しかし、彼は、その正直を欲しいのではなく、違う在り方を欲しい。
そういうことだったのではないかと思ったあたくしなのです。
だから、可愛がられて甘えたいあなたの本心をいつでもぶつけて済むとも
限らないということなのです。あなたが自分を正直にのっけから出し過ぎて
こけたということを思うあたくしなのです。
そもそも、その彼にはそういうことを求められても重いのかもしれません。
だから、正直でダメだったのなら、仕方ないしかないということになる。
万一、今度今度彼と再会する羽目になっても、あなたはもう饒舌は禁止です。
潔さで、良識も常識も感じさせなさい。
相手がどう微笑んでもそれに甘んじてはなりません。
腹が立ってつっけんどんにするということではなく、あのように述べても
自分はあなたの思うようなだけの人間でもなく、欲しいのは純粋な好意まで
の方が強くあったということを彼に思わせて終わるべきだということです。
あなたは大きな教訓を得た。
自分が欲しいエロスに適った喜びに狂喜して浮かれてはいけないということ
です。そして本当にあなたが欲しい誰かのためには、その場がどんな場で
あっても、人間性や感謝や平常時のあなたの人となりを伝えるべきかもしれ
ないということになる。
あたくしの弁が最善だとは思っていないけれど、
欲しいものを得るためには、衝動や情に流されるばかりではダメだという
ことも知って、あなたの嬉しい恋愛に繋げて欲しいところです。
眞理
真理之丞憐憫子3 (2021/07/05 Mon 23:16:17) pc *.122.162.231
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