
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
夫婦のことは夫婦にしかわからない。
それでも夫婦であり続ける~みたいに、傍目には煮え切らないままの夫婦も
多々いるのが現実。
今さら別れてもとそう思う。妻はお金に困るまである場合も少なくない。
家事に子育てに人生を半分割きながら、別れて急にバリバリ第一線で働く
ような経済力を求められないのは当然のこと。
DVや酷(ひど)過ぎる害の発生では離婚も当然、それしか選択肢はない。
また、夫だけが浮気するものでもない時代になっているし、
何がどうでも、伴侶の良い面も悪い面も解りきっている。
それでも愛されていたし、良い面が無かった訳じゃないが新しいトキメキに
負ける。伴侶以上に新しい人の心がうれしかった~
などなど、
一般の夫婦の続行と別離について思い描いてみた訳ですが、
あなたたちはどんな理由で、
正確にはあなたはどんな状態であったのか、何が冷めている事由だったのか
を我々は知り得ない。だから、あなたの独善だけの別れでもなかったかも
しれない訳です。
あたくしはあなたの文からものすごく素直な心を感じた。
異論が言いたい訳じゃなく、悪者が悪者になるだけはあった経緯については
裁判じゃないけれど、斟酌してみることも必要です。
あたくしだって、どんな高邁なことを書いていても、
誰それはどうしているだろうかな~、ちょっと茶々入れのような剽軽な、
だがここで重要なことは、
その言葉のまま軽率や剽軽だけの心である訳でも無いということが重要で
あって、でも、何を今さら深刻に云うのも却って変で、
そほど長かった間柄で、そうした気紛れ思いは許されると思うあたくしで
読んだのですね。
そしてこの相談者はそれはふと過ったものの、実行していない。
自分をよくよく解っていて、いわば親しさを引き摺った回顧だった訳です。
あなたができることは、
無音の沙汰で知らぬ存ぜぬではなく、
ふと言葉を向けてみるのもアリな訳で、その時は、あなたの自分側の「結果
としての独善」や驚かせたこと、哀しませたことをサラっと書いて、
そして未練というものでもなく、前向きにお互いが進む、否、彼にはそう
あって欲しいと、そういう純粋な思いを届けるのは何も罪悪ではないと思う
あたくしなのです。その際自分の落ち目でそういう言動をしないのは最低限
常識ですね。
相手にしても、何がどう足らなかったとか、変わることができなかったとか
それを時間と共に理解している筈がふつうであろうとあたくしならそう思う。
あなたは今の状況を書いていない。
だからあなたの卑怯が浮き彫りになって非難されるのはあなたの書き方の
稚拙の責任です。
しかし、あなただけが悪かった訳じゃないだろうと誰だって思うことも範囲
には在る訳であって、あなたがいつでも得たものを大切に、また人生の教訓
にすればそれでいい。
誓い合った同性婚ですらサッサと別れているほどな世間であり、誰も貴方
だけを責めることなどできないのです。
貴方はその自他の痛みを解って進んでいけばいい。
ただし、自分がしたことは自分に還ってくるものです。それが恋愛でなく、
不遇という形ででも。それが人生なので、新鮮味だけのエロスに惑わされて
もいけないことだけは改めて喚起しておきましょう。
真理之丞回顧愛 (2021/08/28 Sat 11:11:13) pc *.122.182.99
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