
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
心からお悔やみ申し上げます。
とても、辛く、悲しいと思います。
でもお父様のこともあり、ご自身のこともあるかと
思います。
哀しむ時間も、気持ちを休める時間も抱えたまま
お父様の心配も、実際にお世話もあるでしょうから
大変だと思います。
私の母は乳がんでした。
そして、心臓病を患い、20数年闘病生活でした。
母が60を超えてから、生活に色々と支障がでてきて、
私は30代前半でしたけど、週に4、5日は通っていました。
70前に心臓の大手術をして、退院した時に、
要介護4でしたか、初めて介護認定を受けました。
サービスを入れるようになりました。
訪問介護、看護とお世話になりました。
私は1時間くらい離れたところに住んでましたが、
いくらサービスを入れても、人の生活には限界があり、
毎日実家に行きました。
一年過ぎて、要介護1まで回復しました。
それでも、母は自分のことは自分でと、子供には迷惑を
かけまいと、決して自分からはきて欲しいといったことは
ありません。
ある時は、実家に行くと梨が剥かれていて、
冷蔵庫人入ってました。
台所に立つのもやっとなのに、息を切らせながらむいたようです。
私に食べさせてあげたいと思う母の気持ちです。
その時は母に、いらんことして!と言ってしまい、
帰り道凹みました。
寝れなかった日も沢山あったようです。
自分で外出もできず、
近所との付き合いもへり、できていたことも
少しずつできなくなり、どんな気持ちだったの
だろうと思います。
何より体調が良くなかったこともあり、
生活範囲も狭小していき、明るく、いつもにこやかで
人付き合いしていた母はどんな気持ちだったかと思います。
家でできること、折り紙が欲しい言って、
いつも折り紙を買いました。
和紙みたいなものからキラキラ光る折り紙も沢山。
毎日折っていた折鶴の数は万はあったでしょうか。
寂しかったんだろうな思います。
今でもその折鶴みて思います。
だからではないですが、毎日、少しの時間でも、用事がなくても
行くようになりました。
勿論、親子の関係性や家庭の事情、あるかと
思います。良好な関係ばかりではないと思います。
病院へ入ったから、
施設に入ったから、
公的なサービスを入れているから、
それで良しと思う人もいるかもしれませんが、
私はそう思えないんです。
医療でも福祉でも、さまざまなサービスを入れても
その狭間があり、埋めることができない大きなものが
あります。
母の生き様、そして沢山の関わりを持った方から
教えてもらったことだと私は思っています。
そういう自分も定年が目の前に迫る年齢になってきました。
パートナーがいても、他人です。頼るわけにはいきません。
何歳まで生きるかなんて、わかりません。
いつ病気になるかもわかりません。
でも、お金もないので、
身体が動く間に、働いて働いて、少しずつ貯蓄をしています。
保険もしっかりかけています。
健康な時、1人で動けてる時は幸せなんですよ.自分でできるから。
動けなくなれば、必ず誰かの世話になります。
身体的な介護だけでなく、生活全般にです。
1人狼なんて、そんなかっこよく言えるのは自分で動けるあいだだけです。
私に何かあれば、必ず身内にいくのですから。
相手にされなければ、後見人や保佐をつけることも考えています。
私もエンディングノートを買って、終活も少しずつしています。
お墓は母に建てました。自分は無縁仏で良いと思っていましたが、
合同墓として、姉家族も私も入ることになっています。
墓守りが大変、負担になれば、永代するようにしています。
迷惑はできるだけかけずに生きる。
その準備はしておくことが、大切だと思います。
その上で、楽しめることをする。
悔いがないように1日1日を送るようにしています。
長々とすみません。
かんた (2021/09/27 Mon 23:28:13) pc *.220.113.124
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