
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
それはね。
自分の本性を認めての、肯定的な中で解決策を考えられない
まだ若い思い込み者
浅い人格
諦めの悪い詭弁家
自己可愛がり人間で他者のことを本気で考えられない器量
の露呈なのです。
自分に起きた環境人的作用で不愉快な思いを重ねているとか、
エロスの隠花植物的な在り様に抗えないとか、
人を男女ではなく、人間としての器量の部分で肯定しようとしないとか、
自分は違うという自己可愛がり的な選民思想みたいな、
要するに、うまく行かない自分の証左であり、
嫌なことがあると自分を「先ずは」反省できず誰かのせいにする、
記号的なゲイの有り様(ありよう)への斜に構えた侮蔑、
すなわち、自分への自己否定にずっと囚われているということ、
そういうことなのです。
だから、自分も全部剥けば同じ穴の狢でしかないのに、
自分は違うと思い込んでいて、
全部の醜悪や(ゲイ同士の謳歌の一時しのぎの)傾向を馬鹿にして、
自分は違うと思いたい、そのくせ、何も思うようには得られない達成できない
みたいな、そんな「ジレンマ」の告白・叫び、ということなんですよ。
自分は違うと思うのであれば、
ゲイをすべて肯定し、認め、どんな異様さがおぞましくても、
自分は人としてこれは失いたくないという自分の思い描く人徳を自分が
体現したり恋愛(の本音部分で)でぶつけて行けばいいのに、
周囲と環境と他人の享楽のせいにする。そして自分は実際には孤独に喘ぐ。
あなたの目撃した男がいかにカッコよく見えたとしても、
ある意味、病んでいるように闇を抱えたまま出口を見つける改心も努力も
しようとしていない証しなのであって、
そういう御仁とは恋愛を思い描くべきではないでしょう。
あるがままを認める、そこからなんでも解決していけるし、自ずと自分に
幸せが訪れる。それを誰かが悪いからだと叫んで自分を高める卑怯者という
ことです。
しかし、記号、と書いたが、ゲイである人に接して、特有の陰(いん)の
部分が感じられてしまう日常は多いかもしれない。
それは、曲がった根性である場合も多いし、悲観主義もある。
下手に頭が回って(きれて)他人のマイナスしか目につかないような目線の
人間も多い。だから、嫌いなんだよと言い放つ気持ちは「理解は」できる。
しかし、自分がそうではないことを見せて歩めばいいだけのことなのです。
解ろうとしない人に出遭えば、置いておけばいいのです。
<フォビアっくな心理とは、要は自分が嫌い>という悲しい叫びなのであり、
その人は苦しんで捻くれに逃げている可能性がとても高いということ。
解決もできないのに、俺は違うんだ、まっとうだぜ、と見せている訳ですね。
あなた、冷ややかに笑って相手にしないことに尽きる
ということを自分に課しなさい。たとえ、その叫び男がどんなイケメンでも
中身の稚拙の意味で最悪級なので。。。
眞理
真理之丞斥け魔 (2021/11/07 Sun 16:36:06) pc *.167.117.27
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