
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
宗教的な背景がよくわかりませんが、聖書には同性愛が最大の罪と書かれているのですか?
例えいろんな文脈を無視して同性愛バッシングに使われる箇所はあったとしても。
自分の性的指向に対して無理やり抑えつけて生きて行かないとない、それは神に対する裏切りになるんですか?
ゲイではいけないのですか? 教会でゲイは罪だと教えられているのですか?
君の中でプロテスタントという言葉が一人歩きし、ゲイという性癖に縛られて苦しんでいるように感じた。
また異性愛者同士の愛と、ゲイ同士の愛に違いはあるのですか?
俺は本質的には変わらないものだと思ってる。それを何も後ろめたく思わなくても良いと思うんですが。
人がこの世に生を受けたのは、お金持ちになるのではなく幸せに生きるためだと思うんです。
クリスチャンが圧倒的に多い欧米には、日本より遥かに性的マイノリティの方は多くいるだろう。
そんな人たちは神に対する裏切りだ、とでも教えられてきたのだろうか?
俺が20歳ごろ遊んでいた仲間に、クリスチャンの奴がいましたよ。(日曜教会へ行ってると言ってた)
日曜教会でイエス様の前で十字を切りながら、ゲイとして生きてた彼はを罰をうけなくちゃいけなかったのですか?
彼は自分に対して正直に生きてきたんだと思う。それは非難されることだろうか?
君みたいに『クリスチャンだから』と、縛られているうちは何をやっても中途半端になってしまう気がします。
それは結婚しても同じこと。
自分の性癖を隠しながら奥さんに『愛してる』とかのチープな戯言を囁きながら幸せな家庭を築けますか?
それに人生の選択肢に必ず『結婚』が必要ですか?
人生は一度きりですが、一度しか失敗が許されないわけではない。
選んだ道(結婚)で後悔しないように頑張ることの方が、ずっっっと大事じゃないかな?
結婚とはゲイか否かに限らず、相手を幸せにするためにするものであって、
極端な話セックスレスでも相手がそれを認め、自分自身もそれが幸せなら結婚すればいいでしょう。
しかし肉体と精神は不可分です。
ゲイであることを隠し、好きでもない相手に『好きだ、愛してる』とチープな戯言を言い続けても、
それは相手の人生を踏みにじることになってしまうだろうし、果たしてそれが幸せな結婚生活なんだろうか?
スキンシップも友愛と性愛では全く異質のものであって、異性愛者の女性にとっては
異性愛者の男性に愛されることが最も幸せであり、ゲイはゲイ同士で愛し合うことが最も幸せだろう。
結婚って『この人とずっと一緒にいたい』からするものであって、何のために結婚するんだろうか?
家の為とか、親の為とかだったら、それは『 不 誠 実 な 親 孝 行 』という名の偽善です。
自分の人生の舵を取るのは自分自身であり、本当の幸せは自分で納得した後悔のない人生を歩むことだと思う。
自らのエゴのために嘘をついて結婚する、相手はそれで本当に幸せなんだろうか?という命題は深く考えるべきだろう。
感情の否定はいつか必ずボロがでて、取り返しができなくなってしまうかも知れない。
君の人生は親を安心させるためにあるのではなく、自分自身が幸せになるためにあるのと違いますか?
親の場合は孫の顔を見るとかいうような一般的な幸せの形をイメージしてしまい、
自分たちに孫ができないから不幸だと勝手に思ってしまう。それは君の問題ではなく親の勝手なエゴだと思えばいい。
親には感謝しつつ、自分で選択した最高の人生を生きて欲しい、と願います。
結婚しないのは親不孝でもなんでもない。親の為ではなく自分の為に生きることを真剣に考えてみてもいいんじゃないですか?
自分の人生の舵を取るのは自分自身なのです。
これからの永い人生のなかには『責任を持ってNO』と言わなければならい場面がいくつかあるのです。
君の本当の幸せは自分を誤魔化さず、正直に生きる事じゃないのかな?
感情の否定はいつか必ずボロが出て、結局は自分自身を追い込んで苦しむだけだろう。
自らのエゴのために嘘をついて結婚する、相手はそれで本当に幸せなんだろうか?という命題は深く考えるべきだろう。
ソウザ (2021/11/13 Sat 11:00:58) pc *.117.92.14
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