
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
(1)良識に囚われている場合友達はできない。
(2)自分が馬鹿にされることを懼れている自尊心が支配している時
友達はできない。
(3)相手から来ることを待つきれいな自分にしたい人は友達はできない。
(4)その人に迎合し過ぎる会話者は友達はできない。
(5)その人の迷惑を遠慮する人間は友達はできない。
(6)その人が自分の行為と同じだけ返してくれることに拘っている者は
友達はできない。
(7)その人に媚びた場合は友達はできない。
(8)自分の痴態や屈辱を分が悪いと考える人間は友達はできない。
(9)社交辞令から始める場合、友達はできない。
(10)自分を鋳型に収めて考える人間は友達はできない。
要するに、
恥かしい感情と、自分を過大評価してしまう心の傾向が有る時、
そして、何よりもバカになれない時、
惨めさを自分の中だけで処理するような閉じた心の場合、
友達はできません。
あなたは恥ずかしいほど食い下がるとか、それでもまた話掛けようとする勇気
を自分が持っているかどうか、再確認なさい。
そして、他者のアラをすぐに気付く自分が損得勘定で動こうとしていないかも
考え直しなさい。
友達というものは、
何気ない日常の惰性と共有化で先に進む関係性を構築できるのです。
大人になって竹馬の友感覚もおかしなものですが、基本に立ち返りなさい。
あなたがどこか謎めいていては先はありません。
恥ずかしい自分を晒す覚悟で中れない時は、その程度の自分に原因があると
悲観するのはよしなさい。
それから、見てくれの問題、清潔感は上記に挙げていないけれど、常識範囲で
あって、そこは我が身の必須です。羞恥心というのは見るからに外見が揶揄さ
れるようなマイナス要素のことではありません。
失態に「平気になる醜悪」のことでもありません。
純粋に反省したり落ち込んでいる姿を見せたり示すというような意味。
ただし、自己憐憫や悲劇の滑稽仕立て自慢とは違うので要注意。
あなたは勇気も無いし、自分を「きれいに」魅せたい訳なのです。
その上で、理想的に誰かに好かれて居たい願望を維持している。
しかし、それでは、相手はあなたを見限るでしょう。
自分を飾る相手は友人の候補者には上がらないのです。
そして、損得勘定というのは、時間の無駄のこと。
大人になって以降の場合、これが一番の問題となりますが敢えて超えること。
あなたは自分でそんなつもりはないと否定するかもしれませんが、
他者があなたを買い被るのは、あなたがそう彼らに感じさせてそう魅せている
からであって、
本当のあなたで(特に欲しい人に)挑んでいないからなのです。
結論は、あなたは自分像を隠して相談した。
そして、もっと厳密に言えば、自分を見たがっていないのに哀れんでいると
そういうことになる。よくよく再考なさい。
極論を言えば、メール相手にだって心の友になり得ることはある。
実際に会ったら、もっと嬉しかったというようなあなたを目指しなさい。
PS. 憧れられても友達にはなれません。
眞理
https://youtu.be/SbDScJjOHLY
真理之丞回想愛 (2022/02/17 Thu 02:25:55) pc *.83.34.208
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