
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
性の在り方はグラデーション。一人ひとり、好きのカタチも自分らしさもそれぞれ違います。
LGBTQという概念はあるけれど、そういう人と、そうじゃない多数派の人がいるのではなく、
誰もが『性の多様性』というパズルの中の、『1ピース』に過ぎないのですから。
最近、性の多様性が叫ばれているが、日本のように同調圧力の強い社会で周囲と違う自分らしさを貫き通すためには、
人の何倍もの努力が必要だろうし、誰もが認める個性も、圧倒的なエネルギーも必要になってくる気がする。
日本はLGBTQに対し、欧米の先進国のような宗教的な背景から露骨な攻撃や排除はしませんが、
かといってその存在を喜んで認めるわけでもない気がします。
『 露 骨 な 排 除 』ではなく『 静 か な 封 印 』それが日本社会の現状だと思う。(個人的に)
なのでどうなりたいか、どう在りたいか。
これが曖昧なほど指針が立たず、また周囲の意見に振り回されやすくなってしまう気がする。
『変えられるものを変えられる勇気』と『変えられないものを受け入れる度量』その二つを見極める必要があるだろう。
日本という四方を海に囲まれた島国にいると、情報社会の波に飲み込まれ、
LGBTQに対する風当たりの強さばかりを感じてしまい、未来に希望を見出せなくなってしまうこともあるだろう。
しかし実際は法整備が出来ている、いないを別としても、どこの国にも差別や偏見は存在しています。
ゲイ同士が手を繋いで歩くことが当たり前のように見られる欧米の先進国でもヘイトクライムは確実にあります。
そこには宗教的な理由でLGBTQを受け入れがたいと考える人々も少なからずいるのです。
多くのゲイたちは、体裁とか人の目とか言葉とかそういった『常識』が気になってしまう。
なので周りと比べて自分を評価したり、焦ったり、蔑んだりすることなく自分は自分だと素直に生きる。
そういう強い信念が必要だと思う。
こう考えると幸せは『自分の中にあり、自分の中にない』存在と言えるのかも知れない。
陽に照らされてのみ存在する陰のように、常に付随的で相対的なものであると言えるのかもしれない。
生きて行くって苦しい事が多いけれど、皆なそうやって苦しみや哀しみを乗り越えてきてるんだと思う。
ジグソーパズルの各ピースはそれぞれ大きさや形が違うけれど、ちゃんと当てはまる場所があるように、
異性愛者、同性愛者問わず、それぞれ求める幸せの形や大きさが違っても自分だけの幸せの居場所がきっとあるはず。
ソウザ (2022/04/10 Sun 00:15:21) pc *.106.200.135
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