
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
失恋は
その渦中のあなたには申し訳ないことだけど、
「ご縁が無かった」ということになるのです。
これは、神様がそうさせたというような漠然とした迷信のような意味合いで
はなく、「お互いの機が熟していなかった」とも言い換えられる。
あなたはまだ終生付き合えるようなあなたの中身と覚悟ではなかったのです。
そして、あなたがそうだったのか、彼の方がその度合いが大きかったのかは、
あなたたちの中で判然と思い当たることでしょう。
相互が、ゲイを避けようとするほど醍醐味が無かった二人。
それと、
自分の人生が周囲との兼ね合いで、常識に縛られて多岐に亘る己の可能性を
信じたい、ということは、「若さゆえ」のことです。
仮にあなたたちが40歳で出遭ったとします。
その時、自分は、結婚もして子どもも欲しいという夢想がもう思い描けない
ことの方が大きな比重を占めた可能性が高い。
その時、お互いの未来のためになどという詭弁が出ることは少ないだろう。
あたくしが思うのは、
譲歩するほどあなたも好きではなかった(ように見えた)。
彼もあなたにはどこか遠慮した嘘の自分を取り繕っていた可能性まであると
いうのを想像してしまう。どこか自己保身を抱きながらみたいな接し方しか
できてはいなかっただろうと想像するのです。
本当の恋愛とは、絶対に別れたくないと相手に伝える気迫を持ったものでな
ければいけなかった。失いたくないとなりふり構わないほどの自分であった
かと胸に手を当てて問うてみましょう。
おそらく、あなたも「様子見」で彼と付き合っていた節が有った。
それは相手に合わせて気を遣ってという良識や思い遣りでのことだったかも
しれないけれど、恋愛は、良識は度外視してぶつかるべきものなのです。
そこがあなたは解っていなかったし、彼もそうだったかもしれない。
そして、あなたの相談の中の大きな矛盾は、
そのようにあっさりと退いた(ひいた)までに物分かりが良いような自分で
あっただろうのに、死にたいなどと今頃強大な気持ちを反芻していること。
あなたが彼を尊重して従った向きも有るのであれば、
あなたのことを、彼は本当はそれほど好きではなかった可能性も疑われる。
(あたくしは、彼はまたゲイ恋愛に出ると睨んでいる。)
恋愛の後の友人関係とよく言いますが、
それは大方、お茶濁しであって、
双方がうまくやり終えて気まずくない安心感を得たかっただけのことが多く、
実際は友達以下の存在に成り下がってしまうことを敢えて見ないようにして
いるも同然で、
本当は恋愛の終止符として相応しくない方策なのです。
相手を尊重するのが本気であれば、会わずにもう見えないで祈るべきなので
あって、どこか卑怯さや曖昧さが尾を引く(という)ことなのです。
そう、その卑怯さのような感覚が、あなたたちの「別れ」なのだった。
だからこそ、整理も付かない。好い人ぶってと言い換えることもできる。
愛は直球で縋ることも厭わないほどに自分を伝えて求める「べき」もの。
それがあたくしのあなたに向ける反省の強要。
あなたは「それほど自分を好きではなかったかもしれない彼」に思いを馳せ
て、自分には何が足りなかったのかを明確に意識することが必要です。
そして、彼の真意が別だったと思い当たる場合、もうちゃんと終わりにして
会うこともしない方がいい。それこそ「ふさわしい」別れとなる。
(その時、彼が寧ろ安堵する可能性まで無い訳ではないけれど、それはもう
そのままでいいということを自らに課すように。)
でなければ、今後誰とどう出遭っても、ゲイとしての未熟を棚に上げて、
何度でも「ぬるい」「相互の未来のせい」にするような別れが待っている。
好きに対しては躊躇するような自分であってはならない。
助けてもらおうとする前に沈みまくって反省なさい。本気が足らなかった。
頭脳で恋愛をするものではないが、失恋は頭脳での反省を強いる。
眞理
https://youtu.be/6Tq9zOFsPWI
真理之丞噓泣愛 (2022/05/05 Thu 01:18:10) pc *.80.236.77
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