
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
表面でしか見ない人はいつまでたっても満たされません。
だから、無いものねだりで年老いていく。
まかりまちがって、やっと出会えた自分の気に入る人にも、
反対に自分の側が愛想を尽かされて行くのです。
卑怯な人間には、運命のカルマがそうさせないのです。
だから、あなたは事前に内面性が判ってよかった~って笑いましょう。
いささか極論に走ったけれど、
そういうことになりますので、あなたは全然心配要りません。
憎むエネルギーも悔しさのエネルギーも無駄なので、嘘ではない気楽な笑顔で
今回は(今回も)そうだったか。残念だよなぁで終わる。
しかし、自分のどこかにも問題(改善点)は潜む。
あなたの軽さのようなスタンスも気にはなる。
目糞鼻くそを哂うことにならないように以下のことに注意なさい。
あなたは相手を貶すより先に、
自分がどうすればそんなことをされない自分足り得るのかを、
例えば、生れたままの自分を変えられる筈もないなどと平然としないで、
考えてみる努力はしなければいけません。
そして、初対面の設定の場のことや、初対面でどう言葉を発するか、
マナーと言えば少し逸れてしまいますが、自分の表現力にも工夫が要ります。
ありのままの自分で~とかよく言いますが、
ありのままでは実際はいけません。
出会いということでは気遣い以上の努力が要るのは必須ほどのことであって、
のほほんとどこかで立っている自分を遠目に見られるようなそんな設定?で
逢うのが当然だと思うような自分であってはなりません。
これは誤解なく。気障に自分を繕って見せるということじゃないの。
しかし、自分を解ってもらうことを場でも時間でも雰囲気でも持とうとする
思案というものは必要なんです。
自分が悪い訳じゃないという理屈では、
あなたの身に萎れた花しか見えないこととなる。黙ってても悪者にされる世。
あなたにも大倫の向日葵が咲く心からの笑顔の人生があって欲しい。
呪ってもいいという風に書くあなたは呪わしい連続を重ねる可能性が高い。
なぜ、そんなことになるのか、そういう風にされたのか、
事前の対話からも反省もしなければいけないのです。
タイミングとか縁とか、ウマ(が不思議と合った)とか、そんなことは
後付けの詭弁。そして努力をしようとしない者の結果論。
そうではなく、「臨み方」というものは考えなければいけないのです。
さりげない自己演出、もとい「計算」は必要なのです。
あなたももちろん気を付けて臨んだことでしょう。
しかし、それでもまだ足りないという余地の話をこうして説く訳です。
今回あなたはどこまでのことをできていたのかどうか。
いずれにしても逃げる人間、相手の労を踏み潰す人間にろくな人物はいない。
あなたは今は心を軽く持ちなさい。しかし、放念でいい訳じゃないという話。
上記をよくよく考えてリトライをお願いいたします。
眞理
https://youtu.be/5530I_pYjbo
真理之丞洗練度 (2022/06/01 Wed 22:57:10) pc *.80.68.187
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