
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あたくしは、自分が誰かに伝えたい時にいつでも書く。
あなたという相談者に向けていて、その実、どこかの誰かに向けて。
その判断軸は大抵気紛れないい加減なものなのですが、
あたくしが今回気になったのは、その年齢性だった。
父娘のまさかの出来事小説が一般的でも、同じ息子同士でも、この年齢性
つまり、この世代と、その年齢の開き具合です。
隔離的にというのは当たり前過ぎる訳であり、
そして、その隔離を誰もが容易にサッサとできる訳じゃない。
その手前の男系で、どう自己制御できるか、誘いに乗らないかを思案する
姿勢こそが重要であって、
なかなか抜け出せないのでも、そこをどうすればいいかを考えてみる頭脳
が要ると思案したあたくし。
人間は考えがまとまらないで、そのままズルズル放置でいくことで
惰性のように繰り返す訳であり、経緯を考えて見つめてみなければいけない。
どうちらからどうとも何も不明なとき、
当然社会的に自立に近い方、すなわち、兄の方こそが彼を救うべきであり、
行動も執るのがふつう。高校生のアネサンのようでもある青年に大人の実行力
を推すのは無謀なこともある。
物事はもっとリアルに考えなければいけない訳で、
通り一遍の杓子定規的話で済むことはない。
青年期のimmoralの揺れる心の背徳遊びではなく、相手が先に大人になって
のtabooの道だったと察するべきなのです。
だからこそ、あたくしは問うた。あなたが先か兄が先かかと。
そして、内向きのその燻りを外に向かわせなければいけないのは自明で、
それは離れたからどうなった、終わる訳でもなく、
踏ん切りが確実に要る、というのがあたくしの回答。
いちおう念のために書きましたの。
微細な部分までの推察力を持つ必要性がある。
これからの二人にまでも言及して然るべきこの兄弟タブー物語なのです。
近すぎる存在は性の対象から遠ざかることが多いところ、
どうしてそのような吸引力を持っってしまったのかということろに鍵がある。
偶然の切っ掛けにしては深過ぎる闇なのだ。継続される時。
眞理
真理之丞距離感 (2022/06/28 Tue 02:00:00) pc *.228.139.186
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