
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あたくしもニュースで意にも留めていなかったけれど、
聞捨てならないとギョッとしましたの。
あのおぞましい様相への報じ方、そして特に男性のなになにという報じ方、
何も詳細が分っていない(かもしれない)一人二人の実状を、
匿名であれば猶更のこと、正確に報道しなければいけないと感じたものです。
それとも、その二人ともにわざわざ欧州でゲイ交わりをしてきて戻って来た
ということか。まさか。
あたくしのように大真面目に欧州で生き及んだ人間も居るのに心外でしたの。
思うには、ふつうの場合、海外と日本とでは衛生観念が違う細部が多く、
あたくしが幾多暮らした先々の日々でも、黙って居ても日本人の清潔感が讃え
られたものです。
プティンの国では特に女性達(というのはそういう面に目ざとい訳で)が皆、
あたくしのことをアクラートヌィイと絶賛してくれましたの。
東アジア(と今は名を挙げずに記す)のどの国の者とは違うことが解るわ!
とまで言ってくれたことは面映ゆい出来事だったけれど、
どこか素直に嬉しいことだった・・・。
「日本へのシンパシー」は半端なかったことをお伝えしたいところです。
ゲイのそうした繊細な心情や几帳面さ、また内省的な面に何も思いを馳せる事
も無しに、おぞましい疫病を男性間のとだけ報じるのは断じて許し難い。
それよりも、どうした接触でと暗喩的にでも告げる必要性が上回るだろうが。
皮膚なら皮膚、傷なら傷、体液なら体液と告げ方はいくらでもあろう筈。
そして注意喚起として留意していただくという善意で語るべき。
ただ言葉を放り投げて済まなかったっ。
あたくしが思うには、内面の苦悩を語らなければ理解は進まないということ
であって、苦しむことが恥ずかしいことではないということです。
性に歓びを見出す人生に何倍もの距離を持つ人間が地球上で人知れず生きて
行く、生きてきたかもしれない訳です。
ゲイのジャンヌダルクが声高に凶行の如く叫ばねばいけないほどです。
傷の舐め愛のような集団いじけ喧騒(抵抗)は一番いけません。
それは異論暴挙などではなく、生きる魂の権利。そして正義。
取り敢えず、あなたたち、蛮行狂宴など羽目を外すことはくれぐれも自重する
ようになさい。いかがわしき門外漢の連想に歯止めを掛けるべきなのです。
眞理
真理之丞暴言寨 (2022/07/30 Sat 10:04:07) pc *.191.236.41
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