
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
本当の自分はどこかにあるとか、今は仮の見せかけで生きていると思うことが
ゲイ人生には多いものです。
そしてあくなきどこかの白馬の王子様もどきを願い沈む。
しかし、あなたにハッキリと伝えなければいけません。
今あるあなたがそのままのあなたであって、これまでのあなたがあなたの全部
でしかなかったと。
これは、言い換えれば、「そうとしかできない自分のそれが自分のすべて」
であったということであって、
いついかなる時も、今のそのあなたがあなたのありのままとあなたの人生だと
いうことなのです。だから、何かを願うだけでは何も成さなかったことでしか
ありません。
だから、何も成せなかったという老後だけが残って来る。やって来る。
そして、もしも二人運命の誰かと出会っても、そこでまた浅いミスの連続性で
歩めば、あなたも彼も浅く省察も覚悟も無ければ、また何もなかったエロスの
記憶だけで有象無象として消えて行く。そこには家族はもう居ない。
そしてこうしたリアリティーで思う時、
為せることは何か。それは現実の中でどう泳ぐかということであって、
同時に、理想に囚われていては心まで消えてしまう人生を行くだけのことに
なるということです。
しかし、心配しないでいいのです。
お金で解決しない現実を生きればよろしい。
その人の心が欲しいと働きかけること。目新しいものにしか価値が無いとは
決して思わないこと。そして、在るがままの中で生きてみる事。
そういう出会いと持続に価値を見出すあなたと、それを打ち出して羞恥心も
憚らないあなたであろうとなさい。
すなわち、どういう恋愛をするか、そこに平凡でも小さくてもいい、と、
そういうポリシーを持たさねばなりません。
これは、他者には汚れた玩具でしかないものでも、自分には宝物であるという
目線とも同じであって、路傍の石ということです。
あなた。だから、光る何かを求めようとするのはおよしましょう。
それがゲイの真実の恋と生きた証しになるということを忘れないようになさい。
子どもでなくても慈しむ何かを見出しなさい。
それが唯一至高のものだという価値観からも解放されましょう。
あなたはあなた。それがあたくしがあなたと叫び続けている理由なのです。
あなたは知らんけど、だろうけど。
楽観的ということも、路傍の石でもいいということです。
ではね。
眞理
真理之丞路傍岬 (2022/08/02 Tue 00:56:47) pc *.191.236.41
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