
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
キスへの敷居は高いのがふつうでしょう。
挨拶のキスではないそのキスについて、あなたはエロスへの前口上のような
自然な段階的儀式のように捉えているかもしれません。
しかし、それは、恋愛のエロス段階でのことが規準となっていて、
中にはそうした手順を遊びであっても自然に解していたり、欲望がそれを
興させることもあるのかもしれないけれど、本来のものではない。
キスというのは、よくも知らない行き刷りのような、ハッタリの、其の場
誤魔化しのような相手にいとも簡単にできる(する)ものではなく、
本来は一過性で交わすような類のものでもないのです。
その人への信愛がそれを可能たらしめる。
それにあなたは足らないシチュエーションでの高望みということなのです。
それを許せば、あなたの側にはその出遭いへの肯定感が生まれ、
その後の罪悪感は寸分も消えてむしろウキウキとする読後感の如くかもしれ
ません。
しかし、本来は、キスはプロローグであり、エピローグであり、
本気の意志表明の上での、共に歩む姿勢への約束ということ。
それをいとも簡単にのべつまくなく持つのは、遊びも本気も見境の無い、
自己肯定をしたい輩の自己満足性のためだけのことなのであって、
それは違う、という最後の防衛本能がそうさせるようなことでもあるのです。
従って、「あなたの安心のため」のキスを拒むのは当然。
あなたが二人を肯定したいだけの安心感のためのキスにもなってしまう。
それを求めるよりも先に、あなたは意思を告げ、また絆を持とうと表明すべ
きなのであり、そこまででない場のことであれば望まないことは却って
慎みとも映る。
そして、誠実味への足掛かりは、何も大袈裟なことでもなく、言葉とそぶり
でもできる訳なのです。
あなたが物足りず悔しがっているのは、自分のための満足への水差され。
本気で相手を思う心ではなく、どこまでも自己本位。
もしも相手のそぶりから?百歩譲って切なく悲しいという思いも湧いたので
あれば、それを埋めるのはキスではないのだということです。
キスで済むより、余剰を醸し出せる人間性をぶつけなさい。これは何も
無駄話で時間を尽くせというような意味じゃない。
例えあなたの些細な、伝わるとも不明な気持ちの片鱗であっても、キスまで
も超える何かを伝えられる、という意味です。
顔の接近は人間としての尊敬が仲立ちとなることは覚えておきましょう。
心の吸引力がキス発動ということなのです。
本気度ともいえる。
どこかの誰かと一夜のでまかせ弄り(まさぐり)を重ねるあなたの信用度を
キスで誤魔化そうとしてはなりません。
眞理
https://youtu.be/drspscLWN1Y
真理之丞空蝉愛 (2022/08/16 Tue 01:49:12) pc *.228.137.243
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