
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
職業は人生です。
しかし、人生は職業ではない。
職業がその人の今と話と未来像を形造っている。
でも、人生は本当は職業とは根底では重なりません。
しかし、その人の自負が人生に影落とす、またはその職業を降りてまでも
自負心や威光や権威というものを纏って生きる人間も居る。
要するに、職業は今と過去のその人への縛りと虎の威ということなのです。
(悲哀を感じていても、その職業は誰もへの縛りということです)
それから、夫婦と子どもの家族像ではその形式がお金として意味を持つものの、
おそらくゲイの恋愛と未来では人間性が「今も」「先行きも」決める。
それから、人格という言葉も在りますが、その人格を決めるのは人間性であり、
さらにその人間性というものを決めるのは「心」なのです。
そして、その心を何が左右するかと言えば、「想像力」なんですね。
そして、ネガティヴな方向性でも想像力は幅を利かせる場合が多いので、
その想像力は、配慮と心の痛みの投影というべきかもしれない。
この配慮という言葉を聞いた時、女々しさと同義のような印象を持つのは誤り。
配慮とは過去と未来の天秤を以て今を推し量る洞察ということなのです。
ですので、ゲイに一番必要で一番嬉しくて甘美なものは、
最終的には、推察力が有るか無いか、見えないものを読もうとする人か否か
ということです。それをできると感じる誰かを求めましょう。
実は推察力というのはその人の「心の中に強さが必要」なのです。
自分だけに囚われない「ぶれない軸」というものが求められるのです。
そして、完全無欠でなくても、推察力を感じる会話ができる人は誰かを否定も
しない。寄り添うことができる。そして、その中ですらエロスを感じ取ること
も発することもできるまであったりします。
これを簡単に言い換えれば、自分中心で考えない人となる。利他となる。
しかし、ボランティア精神とは違う。
自分が捧げるのではなく、相手を引き出せる者ということなのです。
このような芋づる式論理で、職業はその人の今を推し量れても、そこには
その人の人間性は求められない。
したがって、職業で尺度を持つのは、上辺だけのことになる。
あなたはその人に合わせたい心を職業を尺度に観ようとする次元で止どまって
しまっている。本当は、そういうものをダシにして気を惹くことも盛り上が
ると思うのも間違いであって、その向こう側のその人の話し方や言葉の出る
大元の心というものを感じ取ろうとなさい。
そして、あなたも、職業は自分の大部分であっても、恋愛で職業を土台にして
自分を見せていくのも相手を解ろうとするのも、あなたの恋愛の根底部分では
避けるようになさい。そうでないと、その人の真実は思っていたものとは違う
ものだと解る日が来ることになりがちだ。
その人の暮らしは大事ではあるけれど、その人との愛は職業の上にはありま
せん。それはお互いが今の理解者足れるかだけであって、本当の愛を紡ぐ道
にはなりません。
したがって、どういう職業でもいい。その人の人間性すなわち想像力と配慮
そして推察力がどう自分本位で「ない」かで愛の重みを計るようになさい。
これに尽きます。
傷を舐め合う恋愛もリスペクトと憧憬の恋愛も世間には在りますが、本当の
恋愛とは相手を生かさせる相手を引き出させるような語り口を持つ姿勢から
築いて行けるのなのです。
あなたの尊重も反対の不信感も、だから、皮相的だということになる。
何か違ってくれば「違う」が頭をもたげて別れることに拍車を掛ける。
最後に、あたくしのこの見解では母性と混同が生じるかもしれない。しかし、
それも違います。母性ではなく、勇気とエロスで包むということなのです。
それでは、小難しくても、まぁ一応、そんな事を述べた人も居たな、と心の
片隅に置いて頂ければ幸いです。あなたもそんな人になって欲しいと祈って
おります。
追伸)職業は言わなくてもいいということになる。
そして、そういう人であった場合、誰かに惑わされたり、誰かに窮地に追い
やられることは先ず以てないのです。ヤバいとかヤバくないとかは恋愛まで
に篩にかけられてしまう、それ以前の問題なのですたぶん。
真理
https://youtu.be/VLZnjCCBHdk
https://youtu.be/QK2QxQwk0N8?t=1088
真理之丞黒薔薇 (2023/05/02 Tue 23:55:42) pc *.84.17.68
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