
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
友人なんですね。
恋人ではないんですね。
でも、今回のご相談では、どっちでもいいんです。
あなたは素敵な心の持ち主。
でも、聴きなさい。
今は、モノ愛のノスタルジーは邪魔な時代になりました。
あたくしも少し前までなら、あなたを全面的に擁護して義憤でその友人とやら
を糾弾排斥したでしょう。
でも、今回のご相談には、サラサラーと割り切れ。忘れろ、と、あなたには
言います。あなたの心がシクシク痛いとか、押し殺して平気な笑顔で手伝うの
も全部想像できる。でも、まぁ、そうなんだ。仕方ないね、と、
そう割り切って、あなたの過去に捧げた友愛にふんぎりをつけなさい。
宝のもち腐れ、という言葉がありますが、意味は違うのだけれど、
その言葉を今は借用しましょう。
いくら誰かの愛や思い入れに満ちた品でも、
よほどその本人主体の使い慣れた便利屋愛着の品、愛用品でも無い限り、
邪魔だ、有っても何も起こらない、とみてしまうのが今の時代であり、
電子化とともにスッキリ時代に時代は移行しているのです。
資料を隈なく調べて、という時代も、あっという間にchatなんちゃらが駆逐
していくのです。もう蔵書も図書館も不要のドラえもんポケット時代が本当に
来ちゃいました。
いえ、これらは全部、わざわざ挙げて反語的にあたくしは書いているの。
でも、いずれ、多かれ少なかれ、時代は物欲モノ崇拝からは遠退いていくの
です。シンプルでスッキリで爽快と魔法が欲しい時代。
とまぁ、こうした例示の話からも、あなたに解って欲しいのは、
何をあげても他人は心底は歓びはしないのです。愛でるのも数日間。そのか、
愛と言う名の鎖の下で、無理矢理自分を押し込めて使ってみる。愛でてみる。
でも、その愛が終われば、それらは全部傷心の軛(くびき)。
見るのもおぞましい記念品。ないしは不感症の先の陳列品。
といった具合に、その時あなたが一生懸命考えて、無いお金を工面して相手
の笑顔を想像してせっかく買ってあげたモノでも、
実は、世の中では大部分は人知れずゴミ箱行きになっているものなのです。
そして、あなたの前で彼はいかにも正直だった。
そういう訳で、まぁそんなものだわな、と嗤っておきましょう。
そして、まだ使えるとか、飾っていても罰は当たらないとか、そんな御託も
何も付加させないで、サラサラ~と流しなさい。
「時は残酷」とはそういうことなのです。
ただし、あなたがそこに居るのに、平気な顔と無視でバッサバッサとそんな
切り捨て行動をしたその友達は、
その程度の心の人間だったのだとあなたは確実な線引きをなさい。
彼の本性は無神経以上に利己的な人間です。
そんな奴を友達だと手伝いまでする必要はなかったほどなのです。
あ、これは、あの時貰ったものだよね、と、話を振って、ごめん、と一言そう
云うような心の人間性こそがあなたの本当の友達であってほしい。
あたくしは、あなたには強くなって欲しい。
彼よりも三倍の人徳を孕んで行って欲しい。
そして、本気を彼に向ける必要はもうありません。テキトーでいいという
神様の宣告が下りた訳なのです。
どんな奴なのか、それを神様はあなたにわざわざ見せたのです。
あなたが本気を捧げるような相手では無いということに気付かせる加護を
あなたに気付かせなければならなかった。
でも、反面で、モノに腐心する限界というものも解って生きて行きましょう。
今の時代、皆が心に余裕がありません。そして情報が多過ぎるし刹那的氾濫の
時代です。ちょっとした本気の優しさというものを考えて行きましょう。
そのちょっとしたものが欲しい時代なのですよ。それを心といいます。
眞理
https://youtu.be/gNy5e1--Dgg
真理之丞妄執軛 (2023/05/12 Fri 20:51:30) pc *.83.124.80
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