
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
追伸)
人間の目に見える言動は皮相的なものなのです。
直感はほぼ当たる場合が多いものであり、瞬時に覚る、ということはある。
だから、あなたの感じた疎外感が間違っているとはあたくしは書かない。
しかし、あなたの模索は、さらに突っ込んで人を観る目を涵養すべきなのです。
その中には、あなたに問うて訊いてくれた男も居たのだから。
その人も如何にも何も考えていないで問うたのであっても、
中には、別に、そうしてあなたと話そうとする人間も居るかもしれない。
そして、それを判るあなたにならなければいけません。
試してみることで人生は進むのです。それで拓くのです。
だから、あなたは誰か、見ず知らずの中にまで自分を見せる、魅せる気概が
どうしても要る局面が必要な場合も在るのです。
それでないと、探り合いでは黙ってしまう駆け引きで終わり、それを圧して迄
あなたに添うというのは、そもそも、そういうサークルでは無い訳であって、
それを向こうから降らしてくれることを期待してしまうのは、あなたの弱さの
卑屈ということなのだ。
したがって、あなたは自分の今を明け透けにして、
そこで向けられる目線の痛さをものともせずに、誰かの突っ込んで来た問いに
は正直であってもいいのかもしれない。
そこから、そういう人が居てね、でもいい奴なんだよと、そんな交遊録が構築
されて行くかもしれないという話をあたくしは考えた。
しかし、どだいスポーツ競技勝ち負け心と我が物顔でしかない集団なのであれ
ばあなたの居場所でも無いかもしれないので、去っても平気で行きなさい。
そして、まさかと思う人間があなたの味方とあなたの理解者になる可能性も
無い訳はないというのが人生の摩訶不思議ということもある。
そこに打破して向かう気概が無い場合は、閉じた貝の夢想に生きるしかありま
せん。
あっけらかんは案外人を上手く生かせるものだとも思ってください。
思慮は自分の人生に壁を作る場合も多いのです。
眞理
真理之丞伍し愛 (2023/05/22 Mon 22:23:25) pc *.83.124.80
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