
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
日本を代表する街、そして日本の代名詞みたいな古都ですが、
京都の人間像は案外詳密に解明されていません。
もちろん、世俗的にと言えば堅苦しいのだけど、ソフトな面持ちに隠された?
意地悪な京都人という事は巷ではよく語り継がれてきた訳ですが、
その核心はどういうこと(意識なの)か、ということです。
他方で、京都は日本が国際会議などでもその場に選びたがる代表格でもあって、
その意味では、国際性までも纏っているし、外国人が日本に来て脳裏に置くの
も京都必須で、やっぱり日本の文化的心臓かもしれない。
でも、そこでは京都人のことは見えないで選んでいるのです。
歴史遺産と建築でしか京都を見ていない。
先斗町などの趣も広い意味での民族色ということで、もしもそんな京都に実際
に外国人が居を構えるとか長く滞在する時、人間(性)が問題になってくる訳で
日本の心臓の実際の気配に窮屈さを感じ始めることもとても多い。
ここではゲイも同じく意地悪か、ということになる話だけれど、
ゲイは元々心根は誰もが優しいし、痛みを直感的に感じる人種でもある。
だから、誰だって暖かいハートの持ち主が多いのだけれど、
表向きはとてもシビアで意地悪なのは全国共通のことですね。
それは何故か。
それは、社会の中で個々が鬱積感を持って育ってきており、失望感が根底に
巣食っているからで、誰でもそうだとは言いませんが、
悲しさ(哀しさ)を揶揄や誹謗や虚勢で乗り超えて来ているために、
一見すぐに辛辣な感情を湧かせることがとても多いのです。
皆さんもご承知の筈。
だから、京都ゲイだけがそういう意地悪さが突出していることはないのだけれ
ど、それでも、京都の風土では伝統や格式を保つ意識が強く、
それを自己同一的に誇りにしていて、しかし、それを善い人そうな面持ちや
口調で包む(くるむ)ということで化かして生きて来ている人たちなのです。
狡さの応酬と攻防で踏み込まれないまいとして来た、ともいえる。
だから、言葉を額面通りに捉えると痛い目に遭い、
底意地では物知らずや一見さんを往なすという目線がいつでも有って、
「出てくるのはまだ早いお前はん」ということを思う。
それが京都精神であり、要は本気の強気を見せないで頭から勝とうとするよう
な感覚が浸透して来たわけ。
それで、外国人、しかも英米人とあっても、卑屈に大歓迎ということではなく、
やっぱり、どこか否定眼が湧き、それは憎悪とは違うのだけど、
どれどれ、どれほどのものかわからないという査定意識のような感じで、
いわば、遠巻きにする、と、そういうことかもしれない。
そして、外国人でも無条件には認めませんよ、という線引きを持とうとする。
これは極論的な説明だけど、
京都に馴染む、または受け容れられるということはそれほど実は難しいという
ことを意味していて、関西でも、一括りではなく、京都、大阪、奈良、神戸
と、お互いをどこかで牽制し合っていて、仲間意識は低いのです。
つづく
真理之丞顰倣ゐ1 (2023/09/17 Sun 01:20:54) pc *.86.242.125
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