
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなたにとってのその人はあなたには大事な人だったのかどうか。
その馴れ合いの挙句に、当然起きて来る相互感情で自分が逃げようとしている
だけなのか、もうそれ以上はできないのか、自分の器、思考力、実践力という
ものをもう一度再確認してみましょう。
逃げている、乃至は逃げたいだけなのであれば、あなたが間違っている。
いやそうじゃない・できることは全部してみた、というのであれば、もう縁を
そこに置いて自分を進みましょう。それを天は赦してくれる。
あたくしは、あなたの文章から、あなたにはすまないけれど、前者のような
匂いを感じた。疲れては(毎度)逃げたがる(内心の)人という意味です。
本気度が欠けていた可能性という意味です。あなたのその関係性の人はいずれ
も本気度が求められている人なのです。ほどほどで済む筈が無い相手なのです。
したがって、嫌がる疎ましがる自分を少し置いておき、本当の解決策と、今後
どうすべきかを再検討してハッキリ判断する方がいい。ズルズルがあなたを
ただの疎ましさで逃げる男にしている可能性を封じるためにもです。
子は親を自己犠牲でも育てるが、子は親を最期まで見る道が求められる。
それが人生です。しかし、その人の過去からの人となりはどうだったのかで
あなたは決意新たに覚悟で歩み出してもいいでしょう。
その場合も在って善いという意味です。
基本は独りの方が断然楽なのが人生です。
しかし、最期への怖さが独りを躊躇させる。これは男女でも同じ。
子はかすがいということも、突き詰めれば、自分の保身札の最後まで有効な
ものという意味まであったりするのです。自分を生かすけれど、人生に有効な
だけではなく、最期まで関わらる保証先の存在という意味。
それを持たないゲイ人生の場合、寂しさの平穏を採るか、愛の苦悩を採るか、
それはもう自分の思考回路や感情の性向で分かれていく。
愛した記憶、愛された記憶と聴けば美しい。
しかし、そこにはあなたの疑義のような現実を引っ提げて付き合うという上の
自己肯定に過ぎないということがある。
あなたはどちらを選ぶのかは、あなたの強さ次第です。弱いのであれば、
苦しむ道を回避するための孤独を選ぶことは決して卑屈になるべきものでは
ないという結論となる。そして悲しまないでいいという事を同時に意味する。
じゃぁね。あなた。今年もだんだん残り少なくなってまいりました。
笑顔で過ごせることが多いよう祈っております。
眞理
https://youtu.be/ml7yDWoJROQ?t=496
真理之丞選択肢2 (2023/12/16 Sat 19:03:31) pc *.228.179.167
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