
ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
覗いてみれば、あらっ。おもしろい。
あなたはおもしろい僕珍です。何才の可愛さでも可愛いかもしれない。
しかし、あなた。
心情というものがあるでしょう?
そのちょっとイケおじさんでも、述べた事を本気で全部怒り心頭そう思って
思い続けていた訳じゃぁないんです。たぶん。
そして売り言葉に買い言葉という訳でもなかった筈。
あなたに足りなかった何歳であっても必要な人心の機微を感じてそれを表明
し得ないあなた像の記憶が蓄積されていて、
そのおじさんはあなたより遥かにセンシティヴ。
あなた。おじさんでも、彼も若かったゲイ時代を経て生きているのです。
その来し方の道を経て、彼の感性とあなたの鈍感不遜(一応そう云う)とは
明らかにレヴェルの差がある。それは時代のせいではありません。
そのおじさんも若く眩しくもしかしたら今から想像もできない初々しい青年
でもあったかもしれない。
だから、あなたの若さの威光で彼に譲らせるのは間違いです。
あなたは尊敬という概念を履き違えている。それは頭脳の問題。いや、胸の
感性の問題。
それを一度キリのもう取り返しもつかない最後の好い機会なので、全部その
場であなたに捨て台詞にして述べただけで、彼だって痛みでそれらの言葉を
吐いたであろうことまで感じられるあなたであらねばいけないだろう。
世の中には、それにしても当然だろ、とそう高慢に思い替えて自己肯定する
若イケメンも、可愛いボンクレも多いこともある。過信屋の始末。
あなたは仮に、その類。
あなたの本当の欲しいものがあなたの今の輝ける時代にそのままでは得られ
ない可能性がとてつもなく大きい。だから、時間時代を無駄にしないためにも
自分像を考え直す、いや、感じ直す心の恢復醸成を持った方が好い。
あなたとは最初はウキウキ嬉しい出遭いでも、そのうち疑問が過り始めると
いうパターンになりがちで行くことだろう。
それは、代償とか見返り要求のような浅い話ではありません。
あなたとは添キレないおじさんの疲弊となっていく。というような意味。
せっかくのおじさん享受(醍醐味)がどうしたらできるのかと言えば、それ
は畏まった礼儀のような意味ではなくて、健気で一途であることが必要です。
あなたはパッと見そのようでいるかもしれないのに、実際は二皮向けば傲岸
不遜が顔を出す、いや、それで平然としている鈍感さが問題となる。
言っておきますが、出遭った相手に乗れとか尽くせと言っている訳ではあり
ません。相手の心の襞というものを年齢定規を取っ払って考えてみる感性が
あなたには無いかもしれない可能性が非常に高いということ。
あなたの当然は相手の悲しさ。非常識ではなく、相手が己を哀しくなる自分
を思い知らされるあなたの存在なのだということです。たぶん。
このままではあなたは出会いはいくらでもあるでしょうが、二の舞の空虚の
孤独から脱出はできない可能性がある。
そして、自分を見直す気がない若造や年下に特効薬は非常に少ない。
なぜなら、自分の枠組みと思い込みと決め付けでしか生きようとしないから。
最後にもう一度言いましょう。
若いのに驚くような感服させられる精神性の人物というものが実際に存在し
ます。
それは偏に、賢い立ち回りや打算ではなくて、(言葉は不適切だが)盲目に
なれるという譲歩が持てるからなのです。その上で自分を考える。
あなたの常識は何か、紙に書き出して再検討するべきことをお奨めします。
それが常識なのか否か、心の引き出しにいつでも持って置くときっとあなた
でなければダメだと誰かがあなたを掴んで離さない日もくるでしょう。
それでは、あなた。
聞き入れずとも「ショック」を胸に刻んで本気の恋という次元に出でてみて
ください。ゲイバーのママさんに自分の心証を教えてとしおらしがることも
ありかもしれません。
眞理
真理之丞空閨諜 (2024/01/14 Sun 13:34:18) pc *.228.179.167
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