ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた、あなたは行きなさい。
通夜が、葬儀が、誰のためのものかは、生きた人の過去や情況にもよるし、
故人を主体に考えることもできれば、全体の儀式を考えることもでき、
それぞれの思いが湧くものです。
でも、あなたの彼は、あなたを家族に引き合わせ、あなたはその時点では
彼の意思上では、いわば公的な認可ラインに在った人なのです。
彼の一存と勝手なのであっても、彼はそう望み、あなたも付いて行った。
問題は、彼の兄弟関係が思慮不足で自らのメンツだけで、しかも、おかし
な理不尽も突き抜けて、彼に諭すのではなく、あなたを「のこのこ」乗り
込んで来た「闖入者」よろしく、あなたに白目を向けたことでした。
そんな、それまでの人物たちでしかなかった判断力と配慮に欠ける全員な
のであり、(ゲイへの理解が容易くないのは解るにしても)筋違いも甚だ
しいそんな家族に、あなたが汚されることはあってはなりません。
だとすると、行かないに越したことがない、となろうと思いますが、実
はそうではありません。その日を境に、彼は黄泉の国へ旅立つのであり、
あなたとの日々だけが彼の生き様の全容ではなかった以上は、その葬儀が
彼との現世との今生の別れの区切りの時節の意味があるのです。
あなたの心で弔えばいい、思いを馳せるだけでいい、というのは、どうに
でも解釈する自分への言い聞かせだけの意味でしかなく、あなたはやはり
その棺に手を掌わせ読経の中で念じる区切りを自分に課して、彼との歩み
をあなたの中で感謝も悔いも織り交ぜた透明に昇華させるべきでしょう。
あなたは生家兄弟を知ったから行くのではありません。
彼との日々と、彼と出向いたあの実家への日々に惜別に行くのです。彼を
あなたの胸にしまい込むためにこそ、行くのです。
あなたがそっと焼香をして、誰があなたを今更、今尚、恨むことでしょう。
それよりも、恥ずかしがらず、嫌がらず、あなたは彼のお里に添った勇気
が彼にとってどれほど、その時には嬉しいものだったのか、誰がどうあなた
を観ても、あなたは感謝される存在なのです。顔を上げて行きなさい。
あなたたちの別れの原因は知らないけれど、彼はどこかで元気で生きてい
るのではなくこの世にもう居なくなるのです。彼はもうどこにも居ない。
そのために、あなたは行って様子を観て後悔する方を選びなさい。
しかし、後悔などはあってはなりません。ひたすらの涙が似合います。
あなたの青春の栄光と挫折に終止符を打つためにも。
真理之丞
a-babe.plala.jp/~jun-t/k523.htm
真理之丞愛の棺 (2010/09/09 Thu 06:28:27) pc *.18.176.53
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