ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた、人生の殺伐と誤解、人心の齟齬は余裕の無い弱さが引き起こします。
あなたの友人二人は余裕が無く、逃げた。その弱さにあなたは身を引くこと
もけなすことも、悩むことも避けましょう。
あなたはこれまでのあなたで居ましょう。できる声をできる形で届け、あな
たが去ってしまったのでもなく、愛にかまけて周囲が見えないのでもない事
をアピールではなく、あなたの誠意として届ける試みをなさい。
その友人の心をあなたが許せるのであれば。
でも、あなたに質問があります。
あなたはそのようにされた友人達の反応や姿で、初めてあなたの思いを再考
できたのであって、(仕方がなかったのかもしれない可能性はあるが)あな
たが二人に溝を感じさせてしまう歓喜の陶酔でデリカシーがなくなってしま
ってはいなかったのか、自分の胸に問うてみなさい。
ここにはあなたの「沈黙」や「気遣いを誤解させる笑み」というものまでを
含むのが人生です。あなたの気遣いは反対に取られて(解されて)優越心や
策士の人、ないしは、恥知らずの天然人に取られるまであるのが人間の嫉妬
というものです。嫉妬でなく寂しさの寄り添いでもそれは起こる。
つまり、友人たちはあなたを誤解して感じてしまった節がある。
そして、あなたはよもや・まさかと思うでしょうが、そう見えていたあなた
だった可能性まで高い。
それを、あなたは「あからさま」でやっと不可解に知った、ということなの
です。
人間は飛ぶ鳥を撃ち落とす勢いの快心の時こそ、「同情ではなく」これまで
の関わりの人をそれまでと同じ目で関わることが必要なのです。このことを
覚えておきましょう。
しかし、その友は凡庸過ぎます、稚拙の極みです。
人にとって身をかわしたり、退く、避けるというのは一番の悲しみを植え付
けることを思わない、「つるむ」心で慰めるだけの浅さなのです。
あなたの幸せを喜べない理由があなたの無神経になかったかを痛いほど省察
した上で、あなたの恋に足枷となるまでの相手の厄介さが極まる時、あなた
はこの露見が過去のあなたの姿だったのだと思い直し、真の友をみる目で真
の絆の道を行きなさい。
今は自分を変える勿れ。そして自分を恥じよ。その後にピリオドを打つ心で
この秋を歩みなさい。彼にこの嘆きの相談をしてはいけません。あなたの心
の問題であり、あなたは彼とは愛をはぐくみなさい。
真理之丞愛之鏡 (2010/10/21 Thu 23:00:06) pc *.82.45.4
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