ゲイとして生きていく上での心や体の悩みを相談してみよう。ネット上にいる兄貴や弟が相談にのります。
あなた、驚きました。
今しがたあなたの文を読みました。おそれいります。
>僕自身がなんか変なポリシー?持ってるのか意固地なのかなんなのか
>40代50代で意見がぶつかる時がある人と会ったとき、
>解決の糸口が見つからない、、、、
>私自身、人間性に問題があるってことも重々承知のつもりです。
>こっちも疲れてしまい、もう 人としての関わりをする気もなくなり、
あなた、あなたが欲しいものは、きっと、律儀と、柔和と、包容力の中の
対等性でしょう。
柔和というのは、温厚とも言い換えられる。そして全ては対話に帰結する。
中高年にあまり無いものは、実は「対話」なのです。
対話というのは、自分を曝け出すことです。自分を包み隠さずに現すことは
日本人が懼れる恥というものに直結するのです。
その人が歩んだ歴史とは、実は恥の掻き捨てと恥の封印でもあるのです。
だから、相応の中高年の方は若さを笑うし、若さに照れるし、若さに眩しさ
を感じ怖気づく。まっすぐな眼差しと、まっすぐな突進の愛を跳ね返すしか
自分を立たせる術がないのです。 あなたはまっすぐな愛の青年ですね。
あなたを跳ね返すしかあなたとの年齢差の愛をつくれない弱い男。。。。。
もうその「向こう見ずな一途さ」や「けなげさ」を恥と言う照れで纏えない
のが中高年なのです。それに互角に対応することは、ともすれば自分の年齢
性を揺るがせるもので、恥をおそれ、不安になってしまうのです。
自分がいかに(なお未熟で)いい加減であるのかを知るゆえに、それを尤も
らしい弁ではぐらかすことになりがちなのが中高年なのです。そうすること
で前進できるのが加齢の勇ましさでもあり、滑稽な弱さでもある。
でも、カッコイイ大人のオトコとは見せ掛けのダンディズムではない。
「包容力」はともすれば「護られる愛」と混同しがちですが、過去の自分を
思い、その年齢の若者や年下と互角の対話をできる器量が包容力なのです。
あなたが欲しい憧れは、その年回りの人に自らを受け留めてもらえる対話で
あることをよくよく認識し、聴く耳も、話す口も十全に有る、なおかつ、
あなたをあなたの立場として諭せる器量を持つ中高年なのです。
そういう彼氏を探さねばなりません。
無口で受け留める・受け容れる甘やかしを包容力とは申しません。男気とは
無口に宿ると思われがちですが、実は「話せる人」が男らしい人間です。
話すということはその人の反省もポリシーも有ることなのです。その人の身
になって考えられる人のことなのです。
無駄口はいけませんが、あなたの目線に降りられる器量を持った人こそが、
あなたの欲しい彼氏です。よほどできた頭脳と見識の男性で、かつハートが
有る人ということになる。これは至難です。
あたくしのできるアドヴァイスは、まずは、ハートを探せということです。
次は頭脳(思慮)。次は愛嬌です。あなたはオトコを計る耳目を養いなさい。
包容力を勘違いしてはなりません。
恥を厭わぬ対話力を持った人を探しなさい。いいですねっっ。
http://www.youtube.com/watch?v=clZcJlpBh3M
真理之丞亡羊愛 (2010/12/19 Sun 09:19:02) pc *.18.177.128
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